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ほほえみの先に (21)


お久しぶりです!ぞうはなです。
やれやれ、本当に気力を絞り出してる感じ…




「もうこんな時期なのね…まあ確かに、年明けたもんね」
輪講の終わりに配られたプリントを眺めながら、奏江は長い髪をしなやかな指で耳にかける。
「…んんー」
「あんたは当然、聞きに行くんでしょ?」
「んーー」
隣から聞こえてくる相槌とも唸りともつかない小さい声に、奏江は眉をひそめて隣に座るキョーコの顔を見た。

「…どうしたのよ?」
驚いたような困ったような表情に奏江は思わずキョーコを覗き込む。
そこまでされてようやく、キョーコは奏江の存在に気がつきました、という素振りを見せた。
「あ…えっとなに?モー子さん」
「…なんでもないけど。どうしたのよ、呆けたように」
「別に、呆けてなんてないわよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」

キョーコは穴が開くほど見つめていたプリントを机に置くと、小さくため息をついた。そのため息には気がつかず、奏江は首をかしげて小声で聞く。
「光先輩も間に合ったのかしらね」
「あー…卒論?」
「そう。発表会に名前があるから」
「あれだけ頑張ってたらそりゃあ…」
言いながらも、キョーコの視線はプリントに書かれた先輩の名前から離せない。

『敦賀蓮』

キョーコが見ているのは今年卒業予定である4年生の卒論発表会についてのプリントだ。
「でもなんで、松島ゼミと合同なのかしら」
不思議そうに言う奏江に、キョーコは頷いて答えを返す。
「ここのところしばらくはそうらしいよ。松島先生って宝田ゼミ出身なんだって」
「へえ、詳しいのね」
「あ…ま、まあねえ」
なんとなく言葉を濁すとキョーコは机の上を片付け始めた。
「あんたは今日はバイト?」
「うん。モー子さんは?」
「私も。けど少し時間あるし、購買に寄ってから行くわ」
「そうなの。じゃあ私、先に行くね」
「わかった。じゃね」

軽い別れのあいさつののち、キョーコは講義棟の外へ出た。
やや強く吹く風に首をすくめ、マフラーを直してキョーコは歩き出す。

卒論発表会。

卒論というのは論文なのだから、書いて提出すれば終わりなのかとキョーコは思っていた。

「そういうゼミもあるけど、うちは必ず1月に発表会をやるんだ」
「発表会ですか?」
「そう。松島ゼミと合同でね。ゼミ参加者は1年でも聞きに来られるけど、来る?」
「本当ですか?ぜひ、聞きたいです!」
そんな会話を蓮としたのはほんの1週間前のことだ。

先輩たちがどんな卒論を書いているのか。
キョーコは純粋に興味があった。卒業生の卒論は大学の図書館に保管されていて誰でも見ることができると、それを知ったのも最近のことではあるが、やはり直接本人の口から発表を聞けるのも嬉しいことだ。
けれど、同時に気がついてしまったこともある。

4年生は、卒論が無事に終われば卒業だ。

年が明けて1月になると、4年生はあまり大学に出てこなくなる。
ゼミによっては卒論提出が終わっているところもあるし、卒論がない学生もいる。順調に授業を受けていればすでに単位も足りていて、あまり大学に来る必要もなくなってくるのだ。内定先の企業で研修が始まる学生もいる。
もちろん、一部の学生はぎりぎりまで単位が足りるかどうかの攻防を繰り広げていたりもするのだけど。

卒業しちゃったら「先輩たち」に会えなくなるんだ…

当り前のことだし知ってはいたのだが、改めて認識するとキョーコはなんだか落ち込んでしまう。
その落ち込みの原因がなんなのか、キョーコは自分で何となく分かってはいたもののあまり認めたくはなかった。

「最上さん」
いきなり声をかけられて、キョーコは飛び上がった。

「!!!あ、こ!こんにちは!」
「こんにちは」
向かいからやってきたのは蓮だった。蓮はくすりと笑って挨拶を返す。
「相変わらず元気のいい挨拶だね」
「すみません、癖で…」
「いや、いいと思うよ。今日は最上さんはバイトだね」
「はい!」
「どう?小林さんのところの下のお子さんは」
「あ、とても素直でちゃんと話を聞いてくれますよ。お母さんは心配されてましたけど、全然何の問題もないです!」
「最上さんの教え方がいいんだろうね。よかった」
「い、いえ、もともといいお子さんなんですよ」

キョーコははきはきと受け答えしながらも相手の表情をそっと観察した。
これ以上整いようがないほど整った顔に、穏やかで優しい笑みが乗っている。それはもう、まともに視線が合ったら何もなくても赤面してしまうほどだ。

そうよ、ほんとに改めて考えると、私みたいなのを敦賀先輩が気にかけてくれること自体が奇跡的よね。

キョーコは自分の心に言い聞かせながら、表情には出さずに蓮に尋ねた。
「敦賀先輩はこれからゼミに行かれるんですか?」
「うん。査読の対応を先生と話し合うことになっていてね」
「卒論終わったのに、大変ですね…」
「そうだね。けど俺もやりたくてやってるからいいんだ」
「卒業旅行なんかはいいんですか?」
「それは3月になってから行かれるしね。それにこうして学校に来れば最上さんたちの手伝いもできるし」
「す、すみません、ご迷惑おかけして」
「違うよ」
蓮は笑みを浮かべているが、口調は少し真剣になった、ようにキョーコには感じられた。
「それも、俺がやりたくてやってることだ。謝ったりすることじゃないよ」


なんでだろう、なんでだろう。
私が図々しいのよね?

宝田のところに行くという蓮と別れ、足早に駐輪場に向かうキョーコの頬は少し赤くなっていた。

蓮に図書館のカフェでくだらない悩みを打ち明けて以来、キョーコは蓮とあのカフェで話をすることがたびたびある。
輪講の課題のことであったり、家庭教師のバイトのことであったり、話題は様々だがキョーコが蓮に相談する形のことがほとんどだ。
誘うのは蓮の方だし、話ができると勉強になる。なぜ誘ってくれるのかは分からないが、話題も関係も、あくまでも先輩と後輩というその立ち位置が崩れるものではない。

けれど、回を重ねるごとに、キョーコの心境は複雑になってきていた。

なんで、わざわざ私に声をかけてくれるのかな。
先輩は先輩として私のことを心配してくれてるのよね。
でもでも、敦賀先輩はモー子さんにはそんな個人的に声をかけたりなんてしてないみたいだし。
そりゃそうよ、モー子さんは私と違ってしっかりしてるもの。
だけど、話題は輪講のことだけじゃないのよね…それにそれに。

「最上さんと話してると楽しいんだよ」

何回目かの2人での話の時、何の話の流れだったのか蓮がそう言った。
その言葉を聞き蓮の表情を見たキョーコは、なぜか急に鼓動が速くなったことに気がついてしまった。


違うのよ、隣にいるのに相応しいって言うのはそういうことじゃなくて。
本当に"それに値するくらいの女になる"ってただそれだけの意味で。
決して本当に敦賀先輩の隣にいたいとか、そういうことじゃなくて…!

キョーコは足を止めた。
それならばなぜ、自分は蓮の卒業を、会えなくなることを、ここまで気にしているのか。
なぜそのことを考えるだけで心が落ち着かなくなるのか。


だから、違うのよ。
面倒を見てくれて仲良くなれた"先輩たち"と会えなくなるのが寂しいのは当然で…

キョーコはまた答えの出ないむなしい堂々巡りを頭の中で繰り広げながら腕時計に目をやり、無理やりに足を動かした。



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