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ほほえみの先に (10)


こんばんはー。ぞうはなです。

くーー。一向に甘くないのにもう10話…





12月に入ったある日、キョーコはリビングに座り込んで洗濯物を畳んでいた。
尚が唐突に大学を訪れて以来キョーコは尚との距離が近づくことを期待していたのだが、尚の行動はさほど変わらずキョーコは少し落胆していた。今日も連絡はないがまだ尚は帰ってこない。

お化粧も…勉強しようかな、やっぱり。
ファッションもちょっと変わってきたって皆に言われたけど、メイクした方が合うとも言ってたし…
あんまりお金に余裕はないけど、コンビニ化粧品なら買えるよね。

蓮に紹介してもらった家庭教師のバイトのおかげで、今月は少し収入が増えそうだ。
収入が増えるのにバイトの時間は減らす事ができて、キョーコには精神的な余裕も生まれていた。

やっぱり大学生だもん、本当は勉強に一番時間を割きたいわよね。
本当に敦賀さんのおかげだなー…感謝して、落ち着けるように頑張らないと。


唐突に家庭教師の帰りの、蓮の張り付いたような笑顔が思い出されてキョーコはぶるっと身震いした。

あれ…なんだったんだろう、やっぱり気のせい?そうよね、笑顔だったもん。
あの後輪講であったときも普通だったし…大体、敦賀さんがあのタイミングで私に対して怒るなんてこと、しないよね。

なんとなく自分を納得させたとき、玄関の方から鍵を開ける音がした。
どすどす、と足音が聞こえてリビングのドアが開く。
「お帰りなさい、ショーちゃん。ご飯は?」
「食ってきた」
作った食事が無駄になり、キョーコはこっそりとため息をついた。まあ明日の自分の朝ご飯にすればいいだろう、尚は残り物は食べないけれど。


「これ見ろよ」
尚が ふふん、と自慢げに取り出した冊子をキョーコは手にした。
カラー刷りで作られた立派なパンフレットはどこかの学校の案内のようだ。
「…ビジネススクール?…ホテル業界に特化した、経営……」
キョーコが冊子の中身に目を通していると、尚がどさりとソファに座って足を組んだ。
「4月から、ダブルスクールで実質的なことを学ぶ」
「…す、すごいねショーちゃん。それってやっぱり松月亭の…」
「ああ?あんな古臭い旅館、継がねえよ」
「え……?」

キョーコは驚いて顔を上げるが、ソファでふんぞり返っている尚はそのキョーコを小ばかにしたような表情で見返してくる。
「前から言ってんだろ、盛り上がってんのは親父達だけだって」
「そうだけど、でも経営を学ぶから大学にって」
「そりゃあ、俺がホテル経営をするってのは間違ってねえし」
「どういうこと…?」
「俺はあの旅館を継ぐとは一言も言ってねえよ。親とは関係なく一から始める。期待すんのは勝手だけど、俺の将来は俺が決める」

確かにそうだ。
尚は昔から、実家の家業を継ぐことについてはあまり良い返事をしてこなかった。はっきりと決めないまま、経営学を学ぶとだけ明言してこちらの大学に進学したのだ。それは確かに嘘ではない。

「で、でも…この学校のお金、どうするの?さすがにそこまでの費用は今…」
キョーコは一番の引っ掛かりを口にした。
2人の生活費については、キョーコは自分の母親からの定期的な振込みとバイト代でまかなっているのだ。決して余裕はなく、これ以上の負担はさすがにできない。

「お前なあ、人をなんだと思ってんだよ」
「??」
真剣に心配したのに心底呆れたように言われ、キョーコは目を丸くした。
「親父からの振込みはそれ用に取ってあんだよ。バイト代も貯めてるし、俺名義の貯金はまだあるはずだし、ちゃんと目処は立ってる」
「振込みって…何?」

めらり、とキョーコの後ろに揺らぐ影が立ったような気がする。尚は思わずそのあたりを凝視したが、何も見えない。気のせいのようだ。
「それって、生活に必要なもののためのお金じゃないの?」
「何言ってんだよ。お前家賃の負担がないだけありがたいと思え」
「……まったく無くはないわ」
この部屋に住むことを決めたのは尚だ。
通学に便利で、大きめな自分の部屋が取れて、そこそこ綺麗な物件。尚の要求をすべて呑んだため、キョーコが考えていた家賃の1.5倍ほどを毎月支払っているし、通学時間はキョーコの方が長い。
尚の両親が家賃のために振り込んでくれているお金だけでは現実問題、足が出てしまっている。それを負担しているのももちろんキョーコだ。

「大体な、お前が好きでこの部屋に住んで飯も作ってんだろ?嫌なら辞めろよ」
「な……」
「出てっていいって言ってんだよ。行くあてがあるならな」
ふん、とキョーコの手からパンフレットを奪うと、尚はリビングから出て行った。
キョーコはそのまましばらく動けず、音を立てて閉まったドアの方をじっと見つめていたが、やがてぎゅうと両方の拳を握りこんだ。

分かっている。
尚の言う通り、この部屋に尚と一緒に住み、尚の身の回りの面倒を率先して見ているのは他でもない自分だ。
バランスの取れた体にいい食事を取って欲しくて、大学生活に専念して欲しくて無理をしたのも自分。尚に金銭的な負担を言い出さなかったのだって。尚はあれこれ文句をつけることはあるが、それを許しているのもキョーコ本人だ。

キョーコがそこまで尚に尽くしたのは、キョーコに夢見る未来があり、そこにたどり着きたいからだった。

いつか、ショーちゃんと一緒にご両親のあとを継いで、私が女将さんになるの。

そのためなら何でもできると思っていた。
尚が経営を学びたいと言った時は本当に嬉しかったのだ。


ショーちゃんが松月亭に戻らなかったら…私はどうなるの?


キョーコの夢は"尚ありき"だった。
まさか尚が家に戻らないのに、尚の両親がキョーコを女将に据えるなど、そんなことがあり得ないのはキョーコにだって分かる。
キョーコはあくまで、尚の家に面倒を見てもらった居候に過ぎない。尚とのつながりがなくなれば、そこにキョーコの未来などない。
足元の大きな穴を、キョーコは覗き込むことになってしまった。
おそらくそれは、ずっと前から開いていたのだ。けれど自分は、ずっとずっと目を逸らしていた。

私なんで、ここにいるんだろう?

キョーコはしばらく身じろぎもせず、ずっと考え込んでいた。


「あの、石橋さん」
「は、はい!なに?」
輪講終了後、ホワイトボードに書かれた文字を消していた光はキョーコにおずおずと話しかけられて背筋を伸ばして返事をした。
横に立つキョーコは申し訳なさそうに口を開く。
「あの…今の時間敦賀さんがどの講義をとっているかご存知ですか?」
「あーー敦賀君ね…えっとー」
光が気持ち肩を落としてそれでも真面目に考えていると、横から声がかかった。
「キョーコちゃん、蓮に用事?」
話に入ってきたのは社だ。
「あ、はい!ええとあの、用事と言いますか……少しお話がしたくて」
キョーコの返事に頷くと、社は教室の時計に視線をやった。
「卒論のことで話をする予定だから授業終わったら研究室に来るよ。あと10分くらいだね」
「あ、そうなんですね。じゃあ、それが終わるのを待ちます」
「キョーコちゃんの用事は時間かかりそう?」
「いえ、そんなには」
「じゃあ先でいいよ。他の人に聞かれたくない話じゃなければ、研究室で話しちゃって」
「いいんですか?」
「構わないよ」と笑った社に、キョーコは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!すみません、では図々しくも少しだけお時間いただきます!」


研究室のドアを蓮が開けると、ドアから一番近い椅子に座っていた人物がすっと立ち上がった。
「あ、あの!こんにちは!少しだけ、お話よろしいですか?」
「あ、ああ…構わないけど」
キョーコの勢いに押されて少し呆気に取られた蓮は、パソコンの前にいる社をちらりと見た。社は「話があるらしいからさ」と笑うと、視線をディスプレイに戻す。

「話って何?」
蓮は荷物を下ろしながらキョーコに座るように促し、コートを脱いだ。しかしキョーコは立ったまま、ぺこりと頭を下げる。
「その前に…あの、その節は本当にありがとうございました。敦賀さんほどの授業ができるか分かりませんけど、頑張って勤めさせていただきます!」
「ああ、いや俺も早い内に次の人を探さないとと思っていたから、引き受けてくれて助かったよ」

蓮が座ると、キョーコも少し考えてから座った。
話とはなんだろうか。蓮は輪講のことかと思っていたのだが、キョーコの前には課題図書もノートも何もない。それにキョーコはどこか緊張したような、思いつめたような表情に見える。
だが、社がいて、出入りも頻繁なこの部屋で話すと言うのだ。やはり学問に関することだと考えるのが妥当だろう。
「さて、では聞こうか」
蓮はまっすぐにキョーコを見た。
「はい…勝手で申し訳ないのですが、宣言をしたくて」
「宣言?」
真面目なキョーコの顔をどれだけ見つめてみても、蓮にはさっぱり話の行く先が見えなかった。


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