SkipSkip Box

ほほえみの先に (5)


こんばんはーーー!
ぞうはな、いきてますよーーー!!

どかんと間が空きましたが、前のお話忘れられてるかもしれませんが、続きでーす。





「わ、なんだよ?」
部屋に入ってきた尚が驚いた声を出し、キョーコは顔を上げた。
「あ、ごめんなさい」
言いながらキョーコはダイニングテーブルに広げていたノートやプリントを慌てて重ね、ペンをまとめてペンケースにしまう。
「ご飯、まだだった?えと、なんか作って…」

尚が帰ってきたことに驚いたようなキョーコの様子に、尚は眉間にしわを寄せた。
いつもだったらどんなに尚の帰りが遅くても、キョーコは即座に食事を用意できる体制を整えている。だが今日はまるで、自分のことなど忘れていたかのような態度だ。まだそれほど遅い時間でもないのに。
「…別にないならいい」
「え、でも、お腹すいてるよね?すぐに作るから、先にお風呂に入ってくれたら」
「食ってきたからいらねえよ」
風呂の用意はしているようだし、食事の用意をしていないことに対して申し訳ないという気持ちはいつもの通りに見える。
尚は内心の驚きをおさめるとキョーコに背中を向けた。

キョーコが商学部に入学したのは、自分の実家である老舗旅館のためだと、尚はキョーコ本人から聞いていた。将来、少しでも尚の役に立ちたいという気持ちから、経営について学ぼうと考えたと。
尚の両親はそれを知って大喜びだったが尚自身は決して嬉しくない。
大体自分自身が実家を継ぐなんて一言も言っていないのだ。

昔からキョーコは尚の実家に預けられていて、じっとしていればいいものを着物を着こんで仲居の真似事をしてみたりこっそり厨房を覗いて包丁捌きを会得したりして尚の両親を喜ばせていた。おかげで家のことなど何も手伝わない自分は、たびたびキョーコを引き合いに出されて小言を言われ迷惑だった。
東京に出る直前は、キョーコは完全に一人前の仲居として活躍していて、おそらく女将である尚の母親から女将修行までさせられていた。まだ将来に夢がある尚にとっては、両親の考える未来の自分の姿を考えると寒気がしてしまう。

そんなことをイライラと考えながら、ふと尚はキョーコが片付けている本の表紙に目をやった。
何冊か重ねられた本の背表紙に並ぶのは金融関連の単語だ。

こいつ大学で何やってんだ?
1年ってほとんど教養科目で終わりだよな?

「ショーちゃん、プリン買ってあるんだけど食べる?」
髪型と髪色の変わったキョーコがにこにこと尚に笑いかける。
その笑顔は小さい頃から見慣れたものと変わらないはずだったが、どこか見も知らない女性のもののようにも見えて尚はとっさに返事ができないでいた。


宝田教授のゼミ生、主に4年生が宝田教授や社に相談に来る研究室にはその日、4年生に交じって1年生の最上キョーコの姿があった。部屋の端の机に向かったキョーコの斜め前には真面目な顔でレポート用紙に目を通す蓮がいる。
「かなり広く詳しく調べてきたね」
「ひとつ調べ始めるとそこにでてくる単語が気になってしまって…」

恐縮したようなキョーコを見て、上級生の蓮はゆっくりと首を横に振った。
「いや、与えられた内容だけじゃなくて周辺まで含めて理解するのは正しいやり方だと思うよ。本筋から外れない限りはね」
「ありがとうございます」
キョーコは座ったまま深々と頭を下げた。その栗色の髪が机につきそうだ。

「最上さんはどのあたりに興味があるの?」
「興味、ですか?」
「うん。商学部で学ぶ範囲は結構広いんだけど、ゼミはそれぞれ特徴があるから、自分が興味のあることをメインに研究してるゼミを選ぶのがいいと思うから」
「あー…なるほど、そうですね」

キョーコは腕組みをして考え込んだ。
「そこまで考えてゼミの選択しませんでした…」
「ああ、1年生はいいんだ、どこに所属しても基礎から入るからね」
「そうなんですか」
「うん。どちらかといえばゼミがどういうところか、どんな形式で学ぶのかを知る方が先だしね」
「この輪講とかですか?」
「そうだね。レポートの書き方も」

蓮はキョーコが調べてまとめてきたレポートをぺらりと1枚めくった。
「座ってただ聞いてる授業と違って、ゼミは自分から知らないことや知りたいことを調べてまとめて人に発表するのがメインになる。まあ、最上さんはもうそのやり方が分かってるようだけど」
「あ…ありがとうございます」

キョーコは少し恥ずかしげに、少し嬉しそうに頭を下げる。しかし蓮は「けど」と続けた。
「輪講や研究発表は範囲と時間が限られるから、調べた内容をコンパクトにまとめて聞いてる人が分かるように話すことも必要だ」

「うぐ」とキョーコは黙り込む。気になることは詳細に調べ上げなければ気が済まないのだが、それを全部詰め込むと要点が分からなくなるというのは先ほど蓮に指摘されたことだ。
「気を付けます…」
「ああ、でも1年生でこれだけ調べられれば問題ないと思うよ。あとは発表時間だけ気を付けて」
「はい。お忙しいところありがとうございました」
「どういたしまして」
広げた資料をまとめてカバンにしまい、キョーコは立ち上がって頭を下げた。

キョーコが部屋から出ていき、しばらくするとまたドアが開く。入ってきたのは蓮と同じ4年生の石橋光だ。
「あー、敦賀君、卒論の相談?」
「いや、今日は1年生の輪講のアドバイス」
「もしかして今最上さんがいた?」
「うん、会ったかな」
「すれ違っただけだけどね」

ダメージジーンズにスニーカーを履いた光は蓮の向かい側にすとんと腰を下ろした。
「自分の卒論もままならないのに1年生の輪講まで手が回らないよ」
「そうだね、けど基礎を見直すのもまあ、悪くはないかな」
蓮はにこやかにそう答えて、机に置かれた輪講の課題図書の表紙に目をやる。

「さっすが敦賀君、余裕だなあ」
「そうでもないけど…でも先々週は石橋君が世話役だったんだよね」
「うん。1年生って初々しいよね。色々聞かれて、ちょっと張り切っちゃった」
「だから最上さんも張り切っていたのかな」
「え?」
光は頭の後ろに組んでいた両手をほどいてぱちくりと丸い目で蓮を見た。
「何聞かれても答えられるようになりたいって言ってたから」
「そうだとしたら、嬉しいなあ」
光はにこにこと、嬉しそうな、照れくさそうな表情を作る。
「最上さん熱心なんだよねー。3年次の教科書教えてあげたら、早速図書館に行くって言ってたな」
「次の輪講に向けて相当気合入れてるみたいだったよ」
「次は最上さんの発表か。あ、それで敦賀君が世話役?」
「そうだね。だから相談されて、ちょっとアドバイスしてたんだ」
「そっかー。いいなーー」

「?」
光が背もたれに体を預けながらこぼしたセリフに、蓮は不思議そうな顔をした。光もすぐに気がついて、はっとした顔ですぐに体を起こす。
「い、いや別に、なんでもないよっ」
光の顔は少し赤みを帯びているが、必死そうなその瞳を見て蓮は表情を緩めた。


確かに…発表なんて面倒くさいだろうに一所懸命だよな。

蓮はまだ明るい賑やかな通りを自分の家に向かって一人で歩いていた。
大学から数駅行ったその辺りには別の大学と専門学校があり、駅の周りは学生たちが多い。

蓮は道沿いにあるファーストフード店に差し掛かり、「あれ」と小さく声を上げた。
入り口からすぐのところに設置されているゴミ箱の蓋を開け、満杯になっている袋を引っ張り出して交換している店員の姿が目に入ってくる。
制服を着て制帽をかぶった茶髪の女性には見覚えがある。つい数時間前に研究室で話した1年生、最上キョーコだ。

キョーコは店の外を歩く蓮には全く気づかずに作業に集中していたが、後ろからトレイを持って近づいてきた客に気づくと体を起こしてぴしりと背筋を伸ばした。
「ありがとうございます、お済みですね!」
食べたあとの紙屑や紙コップが載ったトレイを両手で受けとると深く頭を下げる。
「ありがとうございました!!」
客が店から出るまで頭を下げ続け、またすぐに作業に戻る。

あの今日の深いお辞儀はこの仕事のためか…

蓮はキョーコの姿を目の端にとらえながら店の前を通りすぎた。
蓮の話を真剣に聞き、懸命にメモを取りながら頷いていたキョーコの顔と、今の仕事中の顔は同じ、集中している表情に見える。

真面目な子なんだろうな。

そんな感想をふといだくと、蓮はまた正面に向き直って家への道をたどった。


関連記事

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する