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BALANCE (12)


こんばんはー!ぞうはなです。
遅くー!なりましたーー!





部屋のドアが閉まった後、外から「カンカンカン」と聞こえるのは尚が階段を降りていく音だろう。

キョーコはすぐに蓮から身を離すと深々と頭を下げた。
「すみません、敦賀さん」
「いや…先にでたらめを言ったのは俺の方だ、すまないな」
「いえ、ありがとうございます。さっぱりしました」
「さっぱり?」

聞かれて、キョーコは頷いた。
「あいつが何考えてこんな事したのかとか…分からない事多かったんですけどまあまあ聞けましたし、直接顔見てやっぱり自分がバカだったんだって改めて認識できましたし、区切りがつけられたって言うか、とにかくさっぱりしたんです」
一気に言い切るとキョーコは笑顔を作る。しかし蓮はしばらく表情を変えないままキョーコを見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「今ここで無理をしたり取り繕う必要はないが?」
「へ?」
一瞬何を言われているか分からず、キョーコは間抜けな声を上げてしまう。

「あの男との縁を切るのも人生をやり直すのもいいが、それは今感じている苦しみや悲しみや怒りを押し込めたまま出来ることなのか」
キョーコの目は限界まで見開かれて、無表情な蓮の顔をまじまじと見つめている。
「い…いえ、だって私もう、吹っ切れてますし……」
「…そうか」

蓮は短く答えるとテーブルに置かれた白い封筒を手に取り、上着の内ポケットに入れた。
「この金は一旦俺が預かっておく…あの男にすべて返させて来週また来る。それが最後の清算だ」
「は、はい!」

びしりと背筋を伸ばして答えたキョーコに、蓮はふっと表情をゆるめる。
「勝手にやくざの女にして悪かった」
思わずキョーコも笑みをこぼした。
「いいえ!敦賀さんには助けていただいてばかりで。ほんと、敦賀さんの方があんなバカ男なんかより数百倍いいです!」
キョーコは「あれ?」と思った。なぜだか蓮は今まで見たことがない奇妙な表情をしている気がする。
しかし蓮はすぐに元の無表情に戻ると無言のまま玄関に向かって靴を履いた。

「しばらくは借金の勧誘があるかもしれないから、来客があってもなるべく出るな」
「あ、ここの住所が知れてるからですね」
玄関まで蓮を追ったキョーコはそういう手法があるのか、と納得しながら答えた。
「ああ。宝田組の方は書類を破棄しておくが、他のはそこまではできないから」
「ありがとうございます。でもここも引っ越そうかと思ってるので、大丈夫です。もともと住民票も移してませんでしたし」
「当てはあるのか」
すぐに問われ、キョーコは一瞬考え込む。

「いえ…ただ、この町からは離れようと、それだけ決めてるんです。まだ時間はあるのでしっかり考えてみます」
「ああ」

蓮は一度ドアノブに手をかけたが、ドアを開けずに手を離して振り返った。
「無理と無茶だけはするな。それから自分に我慢させるのも」
「大丈夫です!」
「ならいい」
ふ、と小さく息を吐き出した蓮に、キョーコは深々と頭を下げる。
「本当に色々とありがとうございました。敦賀さんのおかげです」
「…俺は何もしてない。金を取り立てに来ているだけだ」
「そんなことないです。ふふ、やくざの女に手を出すかって仰った時のあのバカの顔、ちょっとおかしかったです」
「俺が勝手に縁を切れと言ったが、よかったのか?」
「もちろんです!こっちから縁切るつもりでいましたから」
言い切ったキョーコの頭を蓮の大きな手がむんずと掴んだ。それから力強くわしゃわしゃと髪をかき回す。

「な、なんですかっ?」
「なんでもない」
かすかに笑ってそう言うと、蓮はドアを開けて出て行った。キョーコは呆然と閉まったドアを見つめてから、よく分からないままドアの鍵とチェーンをかける。

振り返れば先ほどまでいた男たちの姿が消えて静まり返った部屋が目に入る。キョーコは乱れた髪を手櫛ですきながら、ゆっくりと部屋の真ん中に立った。

「とにかく…これでひと段落、かな」

経緯はよく分からないが、とりあえず尚は金を持ってきた。多少の罪悪感はあったのだとどこかで安堵する気持ちもあるが、やはりその浅はかな行動には腹が立つ。大体、自分だけではなく他の女性まで巻き込んでいるのだ。もっともその女性の方が尚を混乱させる大胆な行動を取っていたようだったが。

「…うん、ひと段落よ」

気持ちがようやく落ち着いて、先ほどまでの会話が蘇ってくる。

『この子を取り返したいんだったら俺に殴りかかればいい。その代わりお前は築き上げたものを全て失うだけだ』

蓮にそう言われ、尚は怒っていたようだがキョーコを取り返そうとはしなかった。そしてあの白い封筒。明らかに事情を知る人物、十中八九は女性が尚の周りにいるということだ。今は自分よりも尚に近い存在の女性が。

「ほんっと、ロクデナシよね。どこが良かったんだろ、あんなの。
どうせ敦賀さんが怖くてもう二度とここには来ないだろうし、縁が切れてせいせいするわ!
ふん、事情をマスコミとかにばらされる事に怯えてビクビクしてればいいのよね、自業自得よ」

ぶつぶつと呟いてふと気づけば、自分は自分の封筒を手にしたままだ。
今週の分を蓮に払おうとして、払いそびれてしまった。尚が持ってきた金があるし、それ以外も全て尚に払わせると蓮が言っていたので、自分はもうこれ以上返済をする必要はないのだろう。

キョーコはへたりとその場に座り込んだ。

そっか…もう必死で働いてお金返さなくていいんだよね。
それにショータローももういない。あいつの食事とかスタジオ代も必要なくなったし。
私… 私?

ぞっとするような不快な恐怖が腹の底からこみあげてくる。
解放されたはずなのにこの感覚はなんだ?
怒り、それとも悲しみ。いや、もっと深い恐怖。

『それは今感じている苦しみや悲しみや怒りを押し込めたまま出来ることなのか』

ああ、そっか…
すごいな、さすが敦賀さん。私なんかよりよく分かってるんだ。

本当に気が付いていなかったのかもしれない。それとも見ない振りをしていたのか。
ここまで生きてきた人生の大部分は、尚のためのものだった。その目的と言うか生きがいが、がらがらと音を立てて崩れてなくなった。しかもかなり最悪に近い形で。


私なんだか…空っぽになっちゃったみたい。

ずっと自分の愚かさに気づかず暮らして取り返しのつかない時点で裏切られるより、今このタイミングですべての歪みが払拭される方がマシなのだろう。
けれどこの喪失感はなんなのか。ここまで頑張ってきたのは一体何のためだったのか。これから何を目標に暮らしていけばいいのだろう。

ほんと、空っぽなんだ。私自身っていうモノは、何もなかったんだ。


ぽたり、と音がした。
気がつけば俯いたキョーコの目の前の畳に丸い染みができて、その数が増えて行く。段々と視界もぼやけてうまく見えない。

はれれ?

キョーコは自分で驚いていたが涙は止まる気配もなく、やがて「ひくっ」としゃくりあげていた。

ヤダ私…何これ?私、どうしたんだろう。

『今ここで無理をしたり取り繕う必要はないが?』

やっと分かった…敦賀さんが言っていたのはこのことなんですね。

キョーコはしばらくの間、「ひくっ」と肩を揺らしながらその場に座り込んでいた。


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