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海と陸の物語 (2)


こんばんはー。ぞうはなです。
昨日更新できなかった分、珍しく週末の更新でーす。





「俺は生物学者なんだ」
「セイブツガクシャ?」
「そう。いろんな生き物について研究してる」
「……」
レンはキョーコから距離をとったまま話を続けていました。
どうも目の前の人魚は自分に怯えている様子ですが、レンはどうしても逃げられずに話がしたかったのです。

「このあたりは人魚を見たって話が多くてここに来たんだ」
「…人魚のことを調べたいんですか?」
「うん。と言っても、たとえば捕まえて檻に入れたり、解剖したりって言う、そういう事を考えてるわけじゃないよ」
「……」
「君がこうやって俺の話を聞いてくれるように、人魚は人間とあまり変わらないと思ってるから、生活や文化を知りたいんだ」
胡散臭げにレンを見つめるその目が、"人間は信用できない"と言っているようでレンは渋い顔をした。

「分かってる。俺たち人間が君たちにどんなひどいことをしているのか。だからこうやって会えること自体がすごいことだと思ってるよ」
「私も人間に会いたくなんてなかったんですけど」
「そうだよね…ごめんね。話をするだけだったらもう少しだけ、いいかな?」
キョーコは躊躇っていましたが、相手は紳士的な態度を取り、少し離れた場所から動く気配もありません。キョーコが見たことがある人間のように嫌悪や欲望にまみれた表情ではなく、穏やかな笑みを浮かべています。

何かしようとしたらすぐに飛び込めばいいし…大丈夫かしら?

そう考えながらキョーコは小さくうなずきました。
キョーコは自分でもほとんど意識はしていませんでしたが、心の奥底に少しだけ、この目の前の人間がどういう人なのか知りたいと言う気持ちが湧いていました。それは相手が今まで会った事がない紳士的な態度を取る人間だからか、それとも偶然とはいえ自分が命を助けた相手だからかはよくわかりませんでした。

「君はどこに住んでるの?海の中?」
「住んでいるのは海の底の洞窟です」
「家族と一緒?仲間は?」
「一緒に住んでます。家族…そうですね、家族で」
「どれくらいの人数で一緒に?」
「今は数十人です」

レンはキョーコとの距離を保ったまま岩に座り込んでいました。
なぜか2人とも同じ方を見て並び、キョーコは特にレンの顔をあまり見ようとしません。レンはといえば、人魚のことを観察したい気持ちは大いにあるのですが、あまりじろじろ見るのも失礼ですし、何よりもキョーコは上半身は人間と同じ体だと言うのに何も身にはつけておらず、二つの胸のふくらみは長い栗色の髪でさらりと隠れているだけなので、直視できずにいました。

「君たちはずっとこのあたりに住んでいるの?」
レンはキョーコが知られるのを嫌がると考えて、住処の詳しい場所を聞くことはしませんでした。けれど、どうしても気になっていることがあります。
「ずっと…そうですね、このあたりに住み始めたのは10年ほど前です」
「その前は違うところにいた?」
「はい」
「それは…どっちの方角かな」

なぜそんなことを聞くのだろう?と不思議に思いながら、キョーコはきょろりと辺りを見回すと沖に向かって腕を伸ばします。
「あっちの方…向こうの大陸のそばです」
「……やっぱりそうなのか」

不思議そうな顔でようやっと自分の方を向いたキョーコに、レンは恥ずかしそうに頭をかきました。
「ああ、ごめんね。俺は昔、君が指したその向こうの大陸のそばで昨日と同じように船から落ちて、人魚に命を救われたんだ」
キョーコの心臓がどきりと飛び跳ねました。しかし、レンの顔を改めて確認して慌てて気持ちを落ち着けます。

違う違う。あの子は…違うわよ、キョーコ。

「だけどその人魚に会いたくてあの辺りに何回行っても会えなくて、最近では人魚を見たという人もいなくて。でもこの辺りの人魚の目撃例が増えたから…もしかしたらなにか理由があってこっちに移ってきてるんじゃないかと思って、それでここに調査に来たんだ」
「……」
黙って沖を見つめるキョーコに、レンは弁解するように言葉を重ねました。
「調査なんて言って、本当はその恩人に会いたいだけなのかもしれないけどね。でも昨日も、きっと助けてくれたのは人魚だと思う」
「……どうしてそう思うんですか?」
ぽそりと呟かれた問いに、レンは自信を持って答えた。
「俺も気を失いかけてたけど、あの嵐の中で俺の体を支えて岸まで泳げるなんて…人魚以外考えられない。それに」
「?」
言葉を止めたレンを、キョーコは横目で伺いました。しかし同時にこちらを見たレンと目が合ってしまって慌ててそらします。
「ねえ…人魚は歌を歌う?波や天候を操る歌を」

キョーコは一瞬表情をこわばらせました。
確かに昨夜、自分は嵐を鎮めるために歌を歌いました。けれどそれは決して人間には知られてはいけないことです。レンは気を失っていたから大丈夫と思っていたのですが、聞こえていたのでしょうか。

キョーコは懸命に気持ちを落ち着かせて精一杯無表情を装いました。
「そんな歌は知りませんけど…」
「そう……」
レンはしばし考え込みました。それからゆっくりとキョーコの様子を伺いながら口を開きます。
「俺を助けてくれたのは君ではない?」
「違います」
ふるふると頭を振ってキョーコは否定しました。
肯定なんてしたら、あれこれ聞かれて厄介な事になりかねません。キョーコは目の前の男に多少興味を持ったとしても、深く関わるつもりはありませんでした。

「そうか……普通人間の目の前に姿を見せない人魚がここにいたから、もしかしたらって思ったんだけど…ごめんね、変なことを聞いた」
「いえ……」
少し落胆した様子のレンに、キョーコはちくりと小さな罪悪感を覚えました。
「長々とゴメンね」
レンはすくりと立ち上がりました。ぐるりと周りを見回すと、少し躊躇ってからキョーコに向かって話しかけます。
「俺はしばらくここに滞在する予定なんだ。もし君が嫌じゃなかったら…また話をしたいんだけど、どうかな」
「……」

キョーコは戸惑いました。これで終わり、と思っていたのにいきなりの提案を受け、すぐに『嫌だ』と言えばいいのに、咄嗟には判断できずにいました。
「ここはうまい具合に浜辺からは見えないし…これくらいの時間だと通りかかる人も少ないし。今日と同じ時間、俺は毎日ここに来るから、君が来たいって思ったときだけ少し、話を聞かせてほしい。もちろん君に会ったことは誰にも言わない」

キョーコはしばらく無言で考え込みました。考えながらレンの顔を見ると、レンは非常に真剣な面持ちで自分の返事を待っているようです。
「…あなただけと、本当に話をするだけなら……気が向いたら」
素っ気無くポツリと答えただけなのに、その答えを聞いた瞬間レンはすごく嬉しそうに笑みを浮かべました。
「ありがとうキョーコちゃん!気が向いたらでいいんだ。けれど、君の気が向いてくれたら嬉しい」
そう言ってもう一度礼を言うと、レンは軽々と岩を飛び越えて陸の方に戻って行きました。

レンの後姿が消えるのを呆然と見送ってから、キョーコは我に返りました。
去り際のレンの笑顔と『キョーコちゃん』という声が脳裏に残ってしまっています。
「…別に、なんでもないわよ。珍しい人間ってだけで…」
そう呟き、キョーコはしゅるりと滑るように水に入ると、そのまま沖まで全速力で泳ぎ去ったのでした。


翌朝。
朝日が磯を明るく照らし波がきらきらと光る中、レンは岸から少し離れた岩場で、大きな岩にもたれるように海を見つめてたたずんでいました。
やがて沖合いから一筋の波が起き、自分のいる岩場のほうへその波が近づいてきたのを見て、レンは岩から身を起こすと波の方へと近づきました。岩場までたどり着いた波がすうっと消えると、ゆっくりと海面から栗色の頭が現れます。
「おはよう、キョーコちゃん」
レンが海面から顔を出した少女に声をかけると、少女はびっくりしたように目を見開いてそれから自分の方にしゃがみこんでいる男性に小声で答えました。
「…おはようございます」
「来てくれてよかった。嬉しいよ」
「いえ……」

レンは立ち上がって昨日座っていた岩へと腰を落ち着けました。
レンが離れたのを見て、キョーコもしばらく考えてからちゃぷんと波を跳ね上げると昨日座った岩場の先端の岩に上がります。鱗がきらきらと太陽の光を反射して、銀色に光りました。
レンはその様子を眩しそうに見ていましたが、慌てて目をそらしました。やはり今日もキョーコは何も見につけず、ふるふると頭を振ると素肌が見えてしまいそうだったのです。

レンはふと思い出すと、傍らの岩の陰に腕を伸ばしました。岩陰から戻したその手の中には小さな花がおさまっています。
「これ…君に」
レンは立ち上がってきょとんと自分を見るキョーコに近づくと、その耳の上に花を挿しました。
「??」
キョーコは髪に挿された花にそっと手をやりました。
「昨日…猿の調査をしにあの山に入ったんだ」
キョーコはレンの指差した方へ視線を向けます。
「そこで綺麗な小さいその花を見つけて…君に似合いそうだと思って摘んできた。思った通り似合ってる」

レンの笑顔を目にし、キョーコは海面を覗きこんで自分の姿を確認しました。
そしてレンへと視線を戻すとはにかんだように笑いました。
「…ありがとうございます」

笑顔を見たのは初めてだ、と思いながら、レンはその笑顔にすっかり見惚れていたのでした。


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