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薔薇の素顔 (17)


一応パラレルです。

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不破尚の突然の訪問からすでに10日以上が経過していた。番号非通知の着信もここ数日なかったことから、キョーコの頭からは不破尚のことは薄れつつあった。

カフェの開店時刻のおよそ1時間前。まだほんのりと薄暗い店の前に自転車が止まる。
手袋をはめたキョーコは自転車から降りると、それを引っ張ってマンション横の通路の奥まで歩いていった。

うう、今日は結構冷えてるなー。
日の出もすっかり遅くなってきてるし…。

キョーコは身をもって冬の到来を感じていた。もうすぐ12月に入る。クリスマスのデコレーションをするのか、マスターに聞いてみよう、と考えながら自転車に鍵をかけ、通用口から店に入る。
この数ヶ月、朝一番に出勤するのはキョーコだった。コーヒーの準備はマスターがするのだが、前日夜のバイトが片付けた机や椅子をセットしたり、細かい部分の掃除をしたり、という開店準備はキョーコが任されている。

キョーコはまずメイクと着替えを済ませると、準備用のエプロンをつけて店の明かりをつけた。
店の表のガラスはシェードカーテンが閉められていて、明かりをつけて掃除をしていても外からは見えないようになっていた。
店内の掃除をざっと済ませると、店のドアの鍵を開けて店の外側の掃除に取り掛かる。外の空気は冷たかったが、ばたばたと動き回っていたキョーコには心地よいくらいだった。
再び店内に戻って開店準備を進めるキョーコは、ちらりと時計に目をやった。開店まであと40分ちょっと。もうしばらくしたらマスターがやってくる時間だ。

今日は敦賀さんも来るって言ってたっけ。

キョーコは蓮とのメールのやり取りに書かれていた予定を思い出してクスリと笑いをこぼした。
大体いつも開店時間ぴったりくらいに蓮は来店するのだ。そして、時間の許す限りこの店で過ごして、仕事へと出かけていく。前日どんなに遅く帰っても、朝の時間に余裕があるときには顔を出すのだと、社がこっそり教えてくれていた。
忙しいんだから遅く帰った時は無理しないでゆっくり寝た方がいいんじゃないですか、と進言したのだが、美味しいコーヒーを飲んでキョーコちゃんの顔を見るのが一番のパワー補充なんだよ、と言われてしまい、赤面して何も言い返せなかった。

敦賀さんの笑顔を見てると、たまにドキドキしちゃうのよね…

キョーコの心臓が跳ねるのは、蓮がいたずらっぽい笑顔を見せるときだったり、意地悪なことを言ってからかってくるときだったり、後光が射すような眩しい笑顔を向けてくるときだったり…。テレビでは見られない蓮の表情が自分に向けられると、キョーコはどうにも居心地が悪いくらいにドキドキして、顔が火照ってきてしまうのだった。
バイトの時にかぶっているクール美人の仮面が、蓮の笑顔一つでいとも簡単に崩れてしまうから、困ってしまう。

自分でも、蓮に少しずつ惹かれていっている自覚はある。あるけど、相手はあの敦賀蓮だ。自分だけじゃない、惹かれている女性なんて星の数ほどいるだろう。
余計な望みを持ってしまう前に、この思いは封印しなくちゃ、と自分に日々言い聞かせている。
もう、誰かを好きになって裏切られて絶望するのはまっぴら。
大体、自分はショータローに数ヶ月前に無様に捨てられたばかりだ。そんな女に好かれたって、蓮だって迷惑なだけだろうと思う。節操がなさ過ぎると、呆れられるだけだろう。

それなのに何故、あの人は私の心に入り込んできてしまうんだろう。
何であんなに誤解してしまうような台詞をさらりと言えてしまうんだろう。
どうしてマメに私のメールに返信をくれるんだろう。
…って、考えちゃダメダメ!キリがないんだから!!

キョーコがぶんぶんと頭を振って考えを振り払った時、店の電話が鳴り出した。受話器をとると、向こうからはマスターのちょっと焦った声が聞こえてくる。
「ああ、おはよう、最上さん。ちょっと申し訳ないんだけど、そっち行くの開店時間ギリギリになりそうなんだ」
マスターは自分の娘の忘れ物を届けに駅まで行くことになったらしい。
キョーコは二言三言会話を交わすと受話器を置いた。

ふふ、娘さんの忘れ物お届けかぁ。マスターもお父さんよね。
さて、そうとなったら出来る限りの準備を終わらせておかないと!

キョーコが気合を一つ入れてダスターを手に取った時、店の入り口のドアのベルがカラン、と鳴った。
ドアの鍵は先ほど開けたが、"CLOSED"の札がかかっていたはずだ。
「申し訳ありません、まだ開店前で…」
キョーコは入り口を振り返りながら声を上げたが、その言葉は途中で切れてしまった。
入り口に立っていた男はキャップを目深にしていたが、見間違えるわけもない、キョーコの幼馴染だった。



キョーコは言葉もなく立ち尽くしていた。先に口を開いたのは尚の方だった。
「なんだよ、その間抜け面」
キョーコは我にかえって尚をにらみつけた。
「……何しにきたのよ、こんな時間に。営業時間前よ、出てって!」
「お前に話があって来たんだよ」
「私には話すことなんてないし、営業時間前でも今は仕事中よ!」
構ってられない、とキョーコは準備を再開した。
尚はキョーコの言葉を気にするでもなくカウンターに近づくと、腰を下ろした。キャップを外し、指でクルクルと弄ぶ。
キョーコは尚を目の端に入れながらも、存在を無視して準備を続けた。いささかいつもよりも力が入りすぎるが、勢いに任せてテーブルを磨き上げる。
しばらくの沈黙の後、尚が話し始めた。
「…お前、着拒まだ解除してないのな」
キョーコは答えることなく背中を向けている。
「祥子さんのケータイからかけたって出やしねーし」
「…いつまでそうやって意地張ってんだよ」
キョーコはピタリと止まると尚の顔を振り返って口を開きかけたが、思い直して辞めた。

どうせまた言い返したらこいつと口論になって訳わかんなくなるんだわ、危ない、危ない。

尚の眉間に皺が寄り、表情が険しくなった。そして、面白くなさそうに続ける。
「…お前さあ……」
キョーコは無視を決め込んでいるが、次の尚の一言は爆弾だった。
「敦賀蓮の女房気取りらしいじゃん」

「はああぁぁ???何訳の分かんないこと言ってんの?」
キョーコは看過できず思わず大声で問い返していた。
「あいつに弁当作ってやってんだろ」
ぐ、とキョーコがつまる。
やっぱこいつか、と尚は奥歯を噛んだ。
「俺の事務所のヤツが、敦賀蓮とドラマで共演してんだよ。まあ豪勢な弁当広げてたらしいじゃん。彼女じゃなくて行きつけのカフェの店員、とかなんとか言ってたらしいけど、すっかり周りではあいつとその店員やらの関係が噂になってんだよ!」
「カフェの店員は間違ってないでしょ!」
「俺が言ってんのはそーゆーことじゃねえ!」
尚は握りこぶしでカウンターを思いっきり殴りつけた。カウンターに置かれたシュガーポットが跳ねて、ガシャンと音を立てる。キョーコは思わずびくっと身を竦ませた。

あ、あいつの目…またこの間みたいな……

一緒に暮らしていた時には見たことのなかった、ただ単に怒っているわけではない、暗い光をたたえた目。キョーコは何故尚がそんな目をするのかが理解できず、ただ得体の知れない恐怖を感じていた。

「だから尻軽だって言ってんだよ!ホイホイ男に媚売りやがって!」
「なんでお弁当作るのが尻軽になんのよ!」
「…なっ、そんなんお前、下心があるからに決まってんだろ!!」
「ばっっっかじゃないの!そんなんで作ってんじゃないわよ!大体私は、もう愛だの恋だので惑わされてバカみたいに男に尽くすような、そんな下らないことはしないって決めたのよ!」
「はっ。じゃあ、お前は敦賀蓮のこと、なんとも思ってないんだな」

真正面から問われて、キョーコの瞳が一瞬泳いだ。そして、視線が尚から外れたまま、床に落ちる。
「…敦賀さんは、ただのお客さんよ」

尚は無言で立ち上がると、大またでキョーコに近づき、その腕をつかんだ。
「そんな顔で何言ってやがんだよ」
キョーコの顔を覗き込む尚の目には嫉妬の炎が燃えさかっていた。
「お前は俺だけ見てたんじゃなかったのかよ」
尚はつかんだ腕に力を入れてキョーコを引き寄せる。そして、その体を抱きしめようとした。

引っ張られて尚の胸にキョーコの頭が触れる。その途端、キョーコの脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックした。
部屋にいた知らない女、蔑むような尚の表情……

「さわらないで!!」
瞬間的に、キョーコは両手を突っ張って尚を突き飛ばしていた。
思い切り両手で押しのけられて尚が後ろによろける。キョーコはその隙を逃さず、カウンターの後ろに走りこむと、更にその裏にある廊下の先の小部屋へと飛び込んだ。ドアノブのボタンを押し込みドアを閉める。小部屋はバイトの更衣室兼荷物置き場になっていて、キョーコの私服やカバンもそこに置かれていた。
部屋の外には既に尚が押しかけており、「キョーコ!」という叫び声とガチャガチャとドアノブをまわそうとしている音がする。ドアの鍵は室内用の簡易的なもので、コインのようなものがあれば外から開けることは簡単だ。キョーコはカバンを探ると携帯を取りだし、操作してアドレス帳を呼び出した。登録はしたものの一度も電話をかけたことのない番号を表示する。
一瞬の躊躇いがあったものの、ドアの外から聞こえてくる鍵穴をいじる金属音に気づき、キョーコはドアノブを握り締めて携帯の通話ボタンを押した。


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