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月の下で (13)


こんばんはー。
なんとも話のトーンがふらふらと。今日はえらく軽くなってしまいましたが。





その日の夜、キョーコはひとり、あてがわれた事務所の会議室の中で封筒に書類をつめる作業をしていた。
種類ごとに並べられた書類を1枚ずつ取って重ね、最後に大きめの封筒に入れて封をするという単純作業だったが、一定のリズムで紙を重ねる手がぴたりと止まる。止まったかと思うと両手をばたばたと頭の上で振りまわし、まるで蝿の大群を追い払っているかのようだ。

ある程度見えないハエを追っ払うと、キョーコはまたその動きをぱたりと止め、机に突っ伏してはふーとため息をつく。
しばらく突っ伏していると、唐突にドアがノックされた。がばりと顔を上げたキョーコは声に出さずに口だけ開けて叫ぶ。慌ててきょろきょろと周りを見回すが、再度のノックの音に観念したように立ち上がるとドアに向かった。

「やあ、お疲れ様」
ドアを開けた向こうにいたのは、笑顔の蓮だった。キョーコはぺこりと頭を下げ、おずおずと身を引いて蓮を中に通す。蓮は部屋に入るとキョーコが作業をしていた椅子の隣へと腰をかけた。キョーコも少し躊躇って蓮の隣、元の椅子へと座る。

「俺が事務所にいるってこと、分かってたよね?」
「はい…」
「実は俺もだ。君がここにいるって分かったよ」
「え?敦賀さんもですか?」

今朝起きてから、蓮はキョーコにあることを告げられていた。
契約を交わした吸血鬼は、契約相手の人間の居場所をある程度察知する事が出来るのだと。遠く離れればなんとなくの方向が分かる程度だが、一定距離内に近づけばかなり正確な居場所を嗅ぎつける事が出来る。それは、単なる嗅覚ではなく、違う力が働くのだという。

「話を聞いて君だけに出来る事だと思ってたんだけど。なんとなく事務所にいそうだと思って来てみたら、ちゃんと最上さんがこの部屋にいるって、わかったよ」
「つ、敦賀さんの場合は匂いをたどって、じゃないんですか?」
蓮はキョーコの疑問に軽く笑い声を立てた。
「警察犬みたいに?残念ながら、床に這いつくばれば出来ないことはないんだろうけどね」
「…でも、契約に関してそんな話、聞いたことないですけど……もしかして、敦賀さんの感覚が普通の人より鋭いから?」
「そうかもしれないけどね?正確な理由は俺にも分からない。もしかしたら、俺の願望が叶ったのかもね」
「なんですか、願望って」
「君に逃げられたくないっていう…願望だよ」
少し寂しそうに笑う蓮に、キョーコは目を見開いた。


お互いが口を開くことなく続いたしばらくの沈黙の後、2人は同時に声を発した。
「昨夜はごめん」
「すみませんでした!」

2人は え? と顔を見合わせる。

「ちょ、ちょっと待って、どうして最上さんが謝るの」
蓮が少し動揺しながらキョーコに尋ねると、キョーコは口をへの字に結んだまま、タコがゆで上がるように真っ赤になっていった。
「あの…あの…昨日の夜………」
何やら言いにくそうに言葉を止めてしまったキョーコを伺うように蓮は慎重に口を開く。
「昨日の夜は俺が君の気持ちも考えずに突っ走って……ごめん、本当は逃げ出したかっただろうに」
「いえでも…でも…昨日は敦賀さん……」
真っ赤な顔で必死に何かを訴えかけようとしているキョーコを、蓮は緊張感につつまれながら見る。蓮には昨夜の事についてキョーコに謝られることなど、何一つ思い浮かばなかった。

「そ、その…し、しなかったですよねっ??」

「え?」
予想外の問いかけに、蓮は目を丸くして反射的に声を上げていた。

「ああああああああ、あのですね!わ、私…その、今まで男の人とお付き合いとか、そんなのはもちろんなくてですね!」
キョーコの顔はいよいよ真っ赤だ。涙目で落ち着きなく蓮の顔を除いたあちこちに視線を飛ばし、両手の指はもじもじとお互いの形を辿るように組み合わせたり離したりと忙しい。
蓮は呆然とそんなキョーコの様子を見守るしかない。

「ですけど、中学のクラスメートとかが話してるの聞いたりして、その、あの、あ、ああいう時にどういうことするのか、な、なんとなくは、な、なんとなくなんですけど、知ってて!」
「え、あ、ああ…」
「しかも、その、初めての時はすごく痛いって…」
そこまで聞いて、蓮の頭に"もしかして"という不安がもくもくと湧いてきた。しかしキョーコのどもりながらの懸命の説明はまだ続く。
「だけど、あの、昨日はその、き、気持ちい……いえ、あの、痛いってことは全然なくてですね、それで!」

キョーコはごくんとつばを飲み込んでから思い切ったように早口で言い切った。
「今日ずっと考えてたんですけど、やっぱり私がこんなだから、その、敦賀さんに、いえ、敦賀さんの、お役に立てなかったのかなと思いまして、す、すみませんでした!!」
そして座ったまま体ごと蓮の方へきちんと向くと、深々と頭を下げる。

蓮はキョーコのつむじを見つめながら、気が遠くなるような思いに打ちのめされていた。

今朝からずっとおどおどしてこちらの様子をなんとなく伺っていたのは、そっちの理由か…!
まったく…全く思いつかなかった……いや、思いつく訳がない!

それから何とか自分を鼓舞してようやく気を取り直すと、口を開いた。
「最上さん…」
「はい!」
キョーコは頭を下げたまま返事をする。
「顔を…上げてくれるかな。今日ここに会いに来て、よかったよ」

「え?」
顔を上げたキョーコの目にはいったのは、ため息をつく蓮の姿だった。
「今朝の君の様子を見て…ショックを受けたか、俺のことを嫌いになったか、軽蔑したか、とにかく顔を合わせたくないだろうとは思ったんだけど」
「そんなことは…」
「けど、やっぱり来てよかった。そうじゃなかったら、とんでもないことで君を悩ませるところだった」
蓮はもう一度辛そうにため息をついた。
「最上さん…俺が君に昨日、ああいうことをしたのは…単純に男の本能を満たすためじゃなかったんだ。後になってこういうことを言うのは、言い訳にしかならないって分かってるけど、君が誤解しているようだから、言わせて」
「…誤解、ですか?」
「そう。単純に自分の欲望を吐き出す衝動を抑えられなかったんだったら、多分君が言うように最後までしてただろう、間違いなくね」
キョーコは分からない、と言うように少し表情を変えて首をかしげる。
「でもあの…敦賀さん、仰いましたよね?契約と交換条件で私に頼みたい事があるって…」
「ああ、確かに言ったね。でもあれは、君に拒否させないための、ただの口実。あの時はとにかくあの男に負けたくなくて…血を吸うためだろうがなんだろうが、君に快楽を与えて君のああいう…ああいう表情を見たって言うあの男が許せなかった」
「えええええ?ちょ、ちょっと…」
慌てて反論しかけたキョーコをすいと上げた人差し指1本で制すると、蓮は続けた。
「とにかく昨夜のあの瞬間、その思いに囚われてそれでいっぱいになった。馬鹿みたいだと思われてもしょうがないと思うんだけど…」
蓮はもう一度、深くため息をつく。
「それなのに、まさか君にそんなことで謝らせるなんて、自分で自分が情けないよ」

はわわ、とキョーコが腕を振り回して立ち上がった。
「いえそんな、だって私、こんなですし!」
真っ赤な顔のまま懸命に訴えかけようとするキョーコに、蓮はかぶせるようにたたみかける。
「君があっさり陥落してたら…きっと俺は君に痛い思いをさせてたと思うよ?」

え?とキョーコが止まった。
「君が頑なに…『気持ちいい』って言ってくれなかったから、あんなことになった」
口元を片手で覆って少し咳払いをした連の顔は、なぜか恥ずかしそうにうっすらと赤面しているようにも見える。

片やその言葉を聞いたキョーコは涙目だ。
「そ、そんな恥ずかしい事、言えませんよ!!!大体、昨日はもうあの段階で敦賀さんの血の匂いで酔わされて、その上あんな、あんなことされて耳元で恥ずかしい事囁かれて…!そんな言葉言っちゃったら、私どうにかなっちゃいそうで必死だったんです!」

ふ、と蓮の表情が真顔に戻った。
「我慢してたの?」
「ぐぅ…!し、知りません!!!」
「そうか…」
「昨日だって、最後には結局言わされたじゃないですかー!」
「もうあれは今朝だったよ。外、明るかったろう」
「どっちでもおんなじです!」
恥ずかしそうに叫んだキョーコの体は、一瞬にして蓮の腕に包まれた。

「ひとつ忠告」
蓮の低く甘い声が耳元で響き、キョーコの体がびくりと震える。
「そんな可愛い声で、酔わされたとかどうにかなっちゃうとか言うと…襲われちゃうよ?」
「敦賀さんが言わせてるんですー!」
「だめだな、悪い男の思い通りになっちゃ…」
腕の中でキョーコは真っ赤な顔のままぎゃいぎゃいと抗議の声を上げるが、蓮の腕から逃げ出そうとする気配はない。

蓮はキョーコに向けては余裕の笑みを浮かべながら、心の中では安堵のため息を力いっぱい吐き出していた。


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