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月の下で (8)

こんばんは!
どんどん日が短くなってきましたー。秋ですね。

でも今日、帰り道でアブラゼミの声を聞きました。…出遅れちゃった子でしょうか。

さて、本日も続きです。



雪花は目を見開き、口に両手をあてるとよろよろとベランダの手すりに寄った。
「嘘……う そ…つるがさん……?」
しかし、下を覗き込もうか逡巡している内に尚に後ろからその長い髪を力いっぱいつかまれ、痛みにのけぞり後ずさる。
「お前さあ…そのなり、目障りなんだよ。もどせよ、いつものに」

尚の手が離れると、雪花はその場にへたり込んだ。髪の色が段々と濃くなり、やがてその姿はキョーコのものへと変わる。
「なんで…なんで、なんで敦賀さんを…」
「んだよ、あいつの血が欲しかったのか。干からびるまでお前に血を吸わせてやりゃよかったか?」
「……」
「それともなんだ、お前あいつのこと好きだったのか?バカじゃねーの、人間相手に」
尚の目はまだ爛々と赤く輝いている。昂った気持ちの持って行き場がなく、荒く息を吐きながらうろうろと歩きまわり始めた。
「こんな簡単に死ぬような人間と、どうにかなるとか思ってんのかよ。は、くだらねえ!俺んとこ出てったって、ロクなことねーってわかったろ」
「誰のせいで…!」
絞り出すようなキョーコの声に、敏感に尚は反応した。
「ああん?なんだよお前、今日はやけに反抗的じゃねーか」

尚はキョーコに歩み寄ると顎に手をかけて無理やりその顔を上向かせた。
「…こういう日の俺にたてついて、どういうことになるのか分かってんのか?」
「気に入らないなら、私を殺せばいいでしょ…もう、たくさんだわ」
「はん……その手には乗らねえ。お前は殺さねーよ。逃げたきゃ逃げればいい。けど、逃げ切れると思うなよ」
勝ち誇るように尚は笑った。キョーコは精いっぱいの怒りを込めて尚を睨むが、それすら尚には快楽としか感じられない。反抗的なキョーコを力でねじ伏せて屈服させることで、歪んだ感情が満たされていく。

しかし。

「やれやれ」

急に聞こえたのんびりとした声に、尚もキョーコも弾かれたように顔を上げた。
ベランダの外側、下から伸びてきた手が手すりをがしりとつかんだかと思うと、ふわりと浮くように蓮の顔、体がせり上がり、そのまま手すりを飛び越えてベランダに着地する。

「え?」
「な…!」

予想外の事に一瞬動きを止めた2人をよそに、蓮は服の汚れを軽く手で払うと尚に顔を向けた。
「いきなりとは、随分な無茶をしてくれるね。普通だったら死んでるよ」
「おま…!なんで平然と…な、なんだてめえ、何もんだ」
動揺する尚に対し、ふん、と蓮は苦笑すると両手を広げる。
「俺がなんなのか分からないまま暴挙に出たのか…吸血鬼ってのはそんなに浅はかで暴力的な種族なのか?」

尚は低いうなり声を上げて真っ赤な瞳で蓮を睨みつけた。
「満月の夜は血が騒ぐんだよ…どっちにしたってよぉ……てめーは気にいらねえんだ…叩きつぶさねえと気がすまねー!」
叫ぶなり、尚は蓮めがけて殴りかかった。素晴らしいスピードと威力を込めてくりだされた拳はしかし、蓮の顔に届く前に軽く受け止められる。
「血が騒ぐ…ね……よく分かるよその感覚。だけど、こっちは必死に抑えつけてるって言うのに、刺激するのはやめてくれないかな」
尚の拳を受け止めた蓮の指が力を込めて握りこまれる。それだけで尚の顔は驚きと苦痛で少し歪んだ。
「なんだ…と…?」

蓮が手を振ると、尚の体は簡単によろけてベランダに放りだされた。尚が体勢を立て直す内に、蓮はまだ座りこんだままのキョーコに近づくと膝をつく。
「姿が変わっちゃってるね…最上さん。大丈夫?」
「…あ…は、はい。でもあの……敦賀さん…?」
「うん、ちょっとだけ待ってて。ちゃんと説明するから」
蓮はキョーコの両肩をつかんで自分の方へと引き寄せた。ぽすり、と蓮の胸にもたれかかる形になったキョーコは慌てて身じろぎするが、その体はすっぽりと蓮の腕の中におさまっている。
「な…!敦賀さん?」
「最上さんが雪花の格好してるのって…ちょっと意外だけどかえってセクシーでいいね」
「こんな時に何を…!?」
蓮は笑ってキョーコの体を解放すると、ゆらりと立ちあがった。

「てめえ、おちょくるのもいい加減に…!」
殴りかかろうとした尚の動きがぴたりと止まる。振り返った蓮の瞳が、先ほどまでと違うように見えて逡巡したのだ。いや、見間違いではなかった。ついさっきまで黒かった蓮の瞳が、今は透き通るように青い。そして、瞳の色に気を取られている内に、その髪の色までが輝くような金髪へと変化している。
「おちょくってるのは君の方だ。俺の努力を無にしたんだから、責任は取ってもらわないと」
「…な…んだ?お前、なんなんだよ?」
尚の声には苛立ちと焦りの色が混ざっていた。明らかに今目の前に立っているのは普段尚が見下しているただの人間ではない。得体のしれない相手を前にしていると、尚の本能が告げている。しかし尚は引かず、蓮に向かって身構えた。
「本当にその無謀さには感心するよ。まだ俺に喧嘩を売るのか?」
「お前が誰だろうと関係ない…!気に食わない奴はぶちのめすんだよ!」

「そうか」
うなずくと同時に蓮は尚の方へと一歩踏み出した。ただ進んだだけだったが、尚の足がじりと後ろに下がる。
無意識に気圧されたことに少し焦りながらも尚は振り切るように蓮に襲い掛かった。鋭い爪が、鞭のような脚が空気を切りさいて飛ぶが、そのすべてが蓮の腕や脚に遮られ、頭を狙った一撃もなんなくかわされる。
そして尚の攻撃の隙間をぬって、伸ばされた蓮の片手がやすやすと尚の首を捉えた。

「吸血鬼は不死身だっていうけど、首をねじ切られても死なないのかな?心臓を抉り出しても平気?」
楽しむような笑みが蓮の顔に浮かぶ。尚は蓮の片腕で持ち上げられた状態になり、腕をはずそうともがくが、どれだけ指に力を入れても腕は外れず、どれだけ蹴ってもその体はびくともしない。
「ぐ……てめ…」
「それとも、このまま吊り下げといて、朝日が昇るのを待つかな?」

蓮の親指の爪が首筋にぎりりと食い込み、尚は苦しげにうめいたが、ぎらりと蓮をにらむと一瞬にしてその姿を蝙蝠に変えた。尚の首をつかんでいた蓮の手が空をつかみ、少しバランスを崩した瞬間、蓮の眼前に飛来した黒い羽の先に光る爪が頬に一筋の傷をつける。

しかし蓮はすぐに体勢を立て直すと、弾丸のように飛ぶ黒い羽に向かって軽く拳を突き出した。十分な距離をとって飛んでいたはずの蝙蝠が何かに弾かれたように空中でバランスを崩す。続けて数発繰り出された拳によって蝙蝠はあちらこちらに弾き飛ばされ、危うくベランダの床に落ちそうになり、慌てて羽ばたいて空中へと飛び出した。
ぐらつきながら飛ぶ蝙蝠の姿はすぐに闇にまぎれて消え、風がそよいで静寂がベランダに訪れた。


「ベランダだからと手加減したら逃げられたか…まったく、こんなにあっさり逃げ出すとは、失望させてくれるな」
蓮は蝙蝠が飛び去った方をしばらく見ていたが、くるりとキョーコの方へと振り返った。

キョーコはそこに、先ほどと同じ体勢のまま呆然と座り込んでいた。振り返った蓮の姿を、目と口を開けてひたすら凝視している。
「大丈夫だった?」
話しかけられて、キョーコの肩がびくりと跳ねる。
「わ…たしは平気です…けど、敦賀さん…!」
近づいてくる蓮の顔を見てキョーコははっとした。先ほど確かに、尚が姿を変えた蝙蝠が蓮の頬に引っかき傷を作るのを、キョーコは見た。しかし、今目の前にいる蓮の頬には傷など跡形もない。
「驚かせちゃったかな」
「驚きすぎて…何がなにやら……」
「そうかもね」

蓮はキョーコの横にどかりと腰を下ろした。蓮は胡坐をかき、キョーコは膝を抱え、なんとなく口をつぐんだ2人は並んで空に浮かぶ満月を眺める。

「あの……敦賀さんは…人間じゃ、ないんですか?」
しばらくの沈黙の後、キョーコはためらいながらも尋ねた。
マンションの最上階から落ちてもぴんぴんしていることや、人間よりも遥かに優れた身体能力を誇る尚を簡単に負かしたこと、そして見た目の変化…どれを取っても蓮が普通の人間ではないことを物語っている。

「君の言葉を借りれば…俺も、半端者だよ」
「え…?どういう意味ですか」
「君と同じ。人間でもあるけど、そうじゃない部分もある。それにしても、最上さん?」
「な、なんでしょうか?」
蓮の青い瞳に見つめられ、キョーコは思わず追求するのも忘れて返事をした。蓮はぐっとキョーコに顔を近づけ、すん、と低く鼻を鳴らす。
「最上さんはあの吸血鬼と暮らしてるんだっけ?」
「いえ…あの、ちょっと前までは…でも、今は違います!」
「君の血をあの男が必要としてるって言ってたけど、それは今も…?」
あう、とキョーコは言葉に詰まった。
「あの男から君の匂いがした……君の血を、あの男にあげてるの?」
至近距離から少し険しい顔で見つめられて、キョーコはごくりとつばを飲んだ。外見だけでなく、今夜の蓮は昼間の紳士的な様子とだいぶ違う。

「い、嫌だったんですけど…この間うっかり見つかってしまって、それで…!」
「無理やり吸われた?」
さらに近づいた蓮の顔はもうキョーコの首元にある。
「は…はい……」
固まっているキョーコから蓮の顔が離れて、キョーコはほうっと息を吐いた。

「そうか、無理やりか…やっぱり、逃がすんじゃなかったな。再起不能なくらいに叩きのめしてやればよかった」
心底残念そうな顔で、蓮は右手で握りこぶしを作ってぱちんと左手に叩きつける。そしてキョーコがじっと自分を見ているのに気がつき、笑顔を作った。
「どうした?」
「いえ…なんだか敦賀さん、違う人みたいで…あ、その、見た目もそうなんですけど…」
「ああ、そうだね。今日は…満月だから」
蓮は笑顔のままもう一度夜空に浮かぶ月を見上げた。

「どうやら吸血鬼も月の影響を受けるみたいだけど…俺にとってはもっともっと大きな意味合いがあるんだ。今夜の月はね」


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