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月の下で (5)


こんばんは!
今日は中秋の名月ですね。よく晴れていて、明るい月が綺麗に見えています。

ちょうど今の話のタイトルにも月が入っています…。





「尚、ちょっと待って!まだ日は暮れてないわよ!」
安芸祥子は自分がマネージャーを担当しているミュージシャンである不破尚がギターを背負って玄関から出ようとしているのを見て、慌てて声を上げた。2人がいるマンションの一室は日中もすべての部屋で分厚い遮光カーテンが閉ざされたままだ。

「あ?ああ、これくらい大丈夫だよ」
尚は振り向くと軽く言い捨ててドアをあける。帽子をかぶってサングラスをかけているが、顔の下半分から首にかけてはむき出しだ。
「だってあなた、もうキョーコちゃんの血は…!」
しかし慌てた祥子の目にオレンジ色の夕陽が入ってきても、尚は平気ですたすたとエレベーターに向かっていく。

あら?

祥子は一瞬ぽかんと立ち止まったが、すぐに我に返ると尚の後を追った。歩きながら話しかけるが、尚の足は止まらない。
「どういうこと?」
「昨日キョーコに会った」
「え?」
「あいつが出てってから眷属にキョーコの匂いを追わせてたけど、やっと見つけたんだよ。雪花の姿だったし、報告があったのと同じ場所で捕まえたから、誰かのところに通ってやがるな」
「え、それで、キョーコちゃんの血を?」
「ああ。だからしばらく大丈夫だ」
「キョーコちゃん、通ってるってことは見つけたのかしら?契約の相手を…」
「いや、あいつは人間の血なんて飲んでねえよ。道路に叩きつけただけですぐには立てないくらい力も弱ってたし。まあ、俺が血剤3錠ほど飲ませてやったけどな」
「あなた…そんなに力を失ったキョーコちゃんの血を吸ったの?」
祥子の眉間に皺がより、口調には少し非難の響きが混じる。

尚はマンションの駐車場に停められた祥子の車に着くとくるりと振り返った。その顔には歪んだような笑みが浮かんでいる。
「別に…あの血剤1錠であいつは1週間はもつんだ。むしろ自分じゃ吸血もできない半端ものを助けてやったんだから感謝してほしいぜ」
「だけど…」
「あいつなんて、俺の体をこうして陽の光に強くすること以外、なんの役にもたたねーんだからさ」
「尚…」
「ああでも、久しぶりだったし反抗的だったからちょっと吸いすぎたかもな。キョーコの地味ななりに戻っちまってたし」
「ちょっと…!」
「大丈夫だろ。通ってる先があるんだったら血は手に入るはずだ。それができねーから半端ものってんだよ」
「それはちょっと…可哀想じゃない?今までだってキョーコちゃんにいろいろやらせてたんでしょ?それで血をもらうだけで連れ戻しもしなかったのね?」
「あいつが勝手に出てったんだから自業自得だろ。ほら祥子さん、レコーディングに遅れる」
「あ、ああ、そうね…」
祥子は慌てて運転席に回り込むとエンジンをかけた。

人気アーティストである不破尚が吸血鬼であることは、所属事務所の中でも社長など一部の人間、そしてマネージャーの祥子くらいしか知らないトップシークレットだ。
尚自身に音楽の才能がある事も確かだったが、尚が持つ魔力のせいであるのか、単なる歌唱力を超えた、聞いた人を惹きつける不思議な力が尚の歌にはあるのだ。それに目をつけた芸能事務所が尚を全面的にバックアップしてメジャーデビューさせ、デビュー後のサポートも完璧に行っている。
ミュージシャンであるがゆえに、ほとんどテレビ番組には出ずにCDやPVでのみ声や顔が露出する、ライブも小さい箱でたまにしかやらない、という売り出し方でも十分に成り立つ。それどころか謎の多いアーティストとしてかえって注目を集めるくらいだ。数ヶ月前のデビュー以来、尚の人気は上がる一方だった。

尚の性格もこうだから、夜しかレコーディングしないとか我侭なのも…こだわりとして受け入れられちゃってるものね…
でも、オフだからって勝手に抜け出して…!吸血行為を人に見られたらどうするつもりなの?
…まあその場合は、催眠で記憶を操っちゃうから大丈夫、て言うんだろうけど、でも万が一ってことが…

眉間を寄せたままハンドルを握る祥子の顔を横から眺めて、尚はくすりと笑った。
「大丈夫だよ、祥子さん」
「だけど尚、ちゃんと事務所の言うこと聞いてないと、血剤だって事務所のバックアップなしでは…」
「分かってるよ」
いつもの通り、半笑いの尚の一言で口論は終わりになる。いや、口論にすらならなってはいない。こういう時の尚は、穏やかではあるもののその声に含ませる力で相手を黙らせてしまう。

祥子は黙ったまま薄暗いスタジオ地下の駐車場に車を入れた。空いたスペースに車を止め、サイドブレーキを引いてエンジンを切った瞬間、尚の体が覆いかぶさってくる。
「ちょ、ちょっと尚!」
「時間あるだろ…」
「あるって言っても…」
「すぐ終わるよ。レコーディングにはパワーがいるんだ。血剤じゃ味気ねーし、久しぶりだし。契約者の血が一番なのは知ってるだろ?」
尚の赤く光る瞳に見つめられて、祥子は体の力を抜いた。首筋に滑る唇の感触に、無意識に喉が鳴ってしまう。
「くくく…そう、その顔、超そそる…」
耳元でささやくと尚は牙をむいた。祥子の表情が一瞬で恍惚としたものに変わる。尚の脳裏には、ぐったりとうなだれる茶髪の少女の姿が浮かんだ。

け、いい気味だ…俺から逃げられると思うなよ……

快感に耐え切れずにほとばしった祥子の甘い悲鳴を聞くと、尚は指でなぞるだけで自身が穿った牙のあとを消し去り、何食わぬ顔でスタジオに入っていく。
「はよーございます」
不敵な笑みを浮かべる尚の口元には、尖った牙は見えなかった。


それから数日が経ったとある朝、蓮と社は社長の命令で仕事前に立ち寄った事務所のタレント部で目を丸くしていた。


だ、誰?何だこの目にもまぶしいショッキングピンクのつなぎの女の子は??

社長…あとは自分でやれとか言っといて、絶対わざと手を回してるよな?


社と蓮の驚きの理由はまったく違うところにあったのだが、その原因は同じ、タレント部主任の椹の後ろに申し訳なさそうに縮こまって立っている少女だった。

「あー、この子は最上キョーコさんと言って、今 "社長の指示で" 修行として、事務所内のあれこれをやってもらっているんだ」
椹はすべての元凶が社長であることを強調しながら少女の紹介をした。
「撮影現場の見学も徐々にしているところなんだが、社長がドラマの現場なら蓮に任せろって言ってな」
「えっと…」
話の展開についていかれずに聞き返そうとした社を目で制して蓮が口を開く。
「俺の仕事に連れて行って見学させろ、とそういうことですね?」
椹はほっとしたように表情をやわらげると勢いよく頷いた。
「今日はドラマ撮影が2つほど入ってると聞いたからな。頼めるか?」
「構いませんよ」
軽く請け負った蓮を社は思わず見上げたが、蓮は気にすることもなく続ける。
「付き人って形で連れてけば何も問題ないですよね」
「よかった、助かるよ。最上さんも、蓮の現場は勉強になると思うから色々見ておいで」
「あ、ありがとうございます!」
キョーコは緊張した面持ちのまま深々と頭を下げた。

気が変わらないうちに、と思ったのか椹は蓮と社にキョーコを引き渡すとそそくさと仕事に戻る。蓮はキョーコと向き合うとやわらかい笑みを浮かべて話しかけた。
「…直接会うのは久しぶりだね、最上さん」
「すみません、敦賀さん、こんなことでご迷惑を…」
「いや、実は俺も社長から少しだけど話を聞いてる。どっちかといえば俺がお世話になってるんだし、迷惑でもなんでもないから気にしないで」

呆気に取られたのは社だった。
「え?ええ?蓮、この子と知り合いなのか?」
「ええ、ちょっと」
「ちょっとってなんだよ、いつの間に…!?」
「まあまあ社さん、道中説明しますから」
蓮は矢継ぎ早に質問を繰り出しそうな社をなだめると、キョーコも促して車へと向かった。

「そういうことかあ…キョーコちゃんは蓮の部屋の掃除までやらされてるの?」
「いえあの、たまたま担当の方が急に実家に帰られちゃって代わりの人がいないという状況がありまして…」
ハンドルを握る蓮をよそに、助手席と後部座席で会話が続いている。どうやら社とキョーコはだいぶ打ち解けてきているようだ。

「まあ、蓮の部屋に変な人を立ち入らせるわけにはいかないけどね」
運転席から蓮が振り返らずに口を挟む。
「最上さんに代わってから部屋がさらに綺麗になったんですよ」
「そりゃすごいなあ」
「いえそんな…!敦賀さんにはいつもお気遣いいただいてしまって申し訳ないです」
「気遣い?」
「ええ…」

そのタイミングでさりげなく蓮が社に話しかけた。
「そういえば社さん、そろそろ着きますけど、最上さんは俺の付き人ってことにしますか?それともマネージャー修行中?」
「えっ?いや、キョーコちゃん若いし、タレント志望の付き人の方が自然だし事実に近いだろう?」
「そうですね、じゃあそうしましょう」

社は蓮に向いていた頭を後ろに向けなおして、改めて後部座席の少女を眺める。
「それにしてもその格好のまま来るとは思わなかったよ」
「はあ…社長が必ず着てろとおっしゃるので…」
「目立つからなんか言われるかもしれないけど、付き人だって言ってればいいからね」
「は!ありがとうございます!」

びしりと背筋を伸ばして敬礼した少女と、思わず苦笑してしまった男2人を乗せて、車は撮影スタジオへと向かっていった。


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