SkipSkip Box

Personal Engagement (6)


こんばんは!
今日はすごく暖かくて、3月だなーと思える日でした。
ついでに目がすごくかゆくてくしゃみ連発です。発症してからヨーグルトを食べても遅いのは、よく知っています。
(だから?)






最上キョーコはその日、精神的に疲弊していた。

もともとキョーコは母子家庭に生まれた。母親が仕事で忙しくキョーコに構おうとしなかったため、小さい頃から旅館を営む隣家の不破家に預けられて大きくなった。不破家の経営する旅館は繁盛していて、事業もどんどん拡大していき、不破家は非常に裕福な家だったのだが、キョーコは常に『居候』という立場に引け目を感じており、できる限り自分のできる範囲でやろうと、不破家の援助を極力辞退して暮らしてきていた。
大学の学費だって、不破家が出してくれると言ったのを断り、母からの少ない仕送りと奨学金とバイトでまかなったのだ。

そのおかげでキョーコの経済観念は発達し、少ないお金で器用にやりくりするのが当たり前になっていた。そして、高校生まではお世話になっていた不破家の旅館で働き、大学ではバイトと学校で生活のほぼ全てが占められていたため、学校生活と仕事以外の経験に乏しい。
つまり何がどうなのかというと、キョーコは生まれてから22年間、"お金をかけて楽しむ"ことに無縁な生活を送ってきた、という事実があるという事だ。

キョーコは昨日、会社の調理室で美貌の若社長に捕まり、うまい具合に誘導されて奇妙な仮面恋人契約を結ばされた。
「いきなり付き合ってる状態になるのも不自然だから、まずは俺からのアプローチがないとね」と言われて、どういう意味?と思った。思ったのだけどそのまま「じゃあお互いのことを知るために食事に行こうか」と提案され、特に予定もなかったしお断りできる雰囲気でもなかったので、翌日の今日、夕方に銀座で社長と待ち合わせをすることになった。

食事と言われたから言葉通り食事だと思ったのに、待ち合わせに現れた蓮はそのままキョーコを連れてデパートに入り、キョーコ好みの小ぶりのヘッドが付いたネックレスと、通勤にも使えるセンスのいいショルダーバッグを、…気がついたら買ってもらっていた。

どんな手並みなのだろうか、ただふらりと売り場を眺めながらの会話で、さりげなく聞かれるままに好みを答えたらこの結果だ。いくら辞退しても「返品なんてみっともない事したくないし俺が持っていても使えないし活用して?」とやんわり、でも有無を言わさず受け取らされた。
そして今、キョーコは蓮と向かい合っておしゃれなイタリアンレストランのテーブルについている。

「お口に合わない?」
テーブルの向こうからくすくす笑いとともに言われて、キョーコはげっそりとそちらを見た。
「いえ、大変おいしゅうございます…」
確かに目の前にある前菜は、とても美味しいと思う。ワインも料理に合っているし、店の雰囲気も満点だ。だけど。
カジュアルなお店だから普段の格好で来て、と言われて悩んだ末に少しおしゃれしてきたけど、もう少し着飾って来たらよかったと思うくらい、キョーコの思うカジュアルとは別格だった。先ほどのデパートの宝飾品売り場と言い、このレストランと言い、なんとも肩に力が入ってしまってしんどい。キョーコの感じている疲れは、そんなところから来ているものだった。

「折角美味しい料理なんだから、楽しんで食べて欲しいな。お店の人もそれを望んでいると思うよ?」
途端にキョーコはハッとした。
「そうですね…確かに、大変失礼なことを!」
急にしゃっきりと背筋を伸ばしてしっかりと料理を味わいだしたキョーコを見て、蓮はワイングラスを取り上げて笑った。
「君は…本当に面白いね」
「そんなに変ですか?」

即座に返された台詞に噴き出しそうになって持ちこたえ、蓮はやや呆れたような笑顔でキョーコを見る。
「面白いって、そういう意味じゃないよ。…興味深いって事だ」
「…どうせ所帯じみてるとか貧乏くさいとかそういうことですよね」
「褒めてるんだけどな」
「どこに褒めるポイントがあるって言うんです」
「謙虚だし、お金の大切さを知ってるし、人に気遣いができる」
さらりと述べられて、キョーコは目をぱちくりとさせて蓮を見た。予想に反して蓮は真面目な顔だ。
「あ…ありがとうございます…」

なんだろう…もう本当、社長って考えていることがよく分からないわ!これも何?契約上の演技なの?

それでも、正面から真っ直ぐに褒められて、キョーコは少しだけ緊張がほぐれるのを感じていた。

夕食が終わり、2人は店を出た。
「あの、本当にすごく美味しかったです!御馳走様でした」
キョーコがおずおずと蓮にお礼を言う。本当はおごってもらうのは心苦しかったのだが、「契約でしょ」と、当然のように蓮が会計を済ませてくれたのだ。
「デザートも可愛かったですし、スープも、メインのソースも、すごく工夫されてて感心しちゃいました!今度再現できないかどうか試してみたいです」
ニコニコと料理の感想を述べるキョーコの顔を見ると、蓮も自然と笑みがこぼれる。
「あれを再現できるの?それはすごいな」
「いや、出来るかどうかは分からないんですけど、やってみる価値はあるかな、と」
「俺もそれ、食べてみたいな。今度、俺の部屋に来て作ってくれる?」
「え……?」

契約で、恋人の"フリ"だけなら、わざわざ家にまで行かなくても…?

キョーコは思ったのだが、蓮は気にすることもなくキョーコをエスコートして歩き出した。どうにもこの契約は蓮に引っぱられ振り回される形になってしまっている。気をしっかり持たないと、いいようにされるわ!とキョーコは戒めの言葉を心に刻みつけたのだった。


月曜日。
"ひさや"の新入社員達は、会議室に集まっていた。今日は配属のための各部の説明会と研修とで1日この部屋にこもりっきりになる。15人の新入社員達はこの1か月足らずの間にすっかり打ち解けて、かなり仲良くなっていた。

「なんなの?月曜日から疲れてた顔して」
キョーコの隣に座った長髪の美女が話しかけてくる。キョーコと同じ新入社員の琴波奏江だ。キョーコは説明会の時に知り合った事もあり、てきぱきと行動するところに惚れこんだ事もあり、奏江と特に仲良くしている。
「あ、ううん、なんでもない」
座るなり深いため息をついてしまっていたキョーコは慌てて否定した。
「そう?じゃあしゃっきりしなさい。背中が丸まってるわよ」
「そうね、みっともないわね」

慌てて姿勢を正すキョーコの様子を見ていた奏江はふと視線をキョーコの横の椅子に移した。
「あら、カバン替えたの?」
うわ、目ざとい!キョーコはどきりとしたが平然を装って答える。
「うん…週末に買ったの」
「へぇ…いいわね。でもそのブランド、あんたにしては随分思い切ったわね」
ここまでの短い付き合いでキョーコの締り屋具合を十分認識している奏江は不思議がった。
「あ…うん、でも社会人になったし、と思って…きゅ、給料も出た事だし!」
蓮に「買ったからにはちゃんと使って」と言われ、馬鹿正直に会社に持ってきたら即座に突っ込まれて、キョーコは背中につめたい汗をかいていた。
「そっか、全体が革じゃないからまだ比較的手が出やすい値段よね」
勝手に納得してくれた奏江に、そうなの、と同意してキョーコは話を配属希望の方へと変えていった。
危なかった、とキョーコは内心で胸をなでおろす。契約には蓮との関係を否定しない、というものはあったが、自分から宣伝しなくてはいけないという項目はなかった。

できるだけ話をそっちに持っていかなければ、いいだけのこと。普通にしてればいいのよね!

キョーコは考えたのだが、敵はさすが、もう一段上を行く人間だった。

午前中の説明会が終わり、キョーコたちが昼食を取ろうとそれぞれ席を立ったり荷物を片付けたりしているところに、会議室のドアが開いて社長が現れた。
驚いて頭を下げる新入社員たちに「お疲れ様」と笑顔で一言をかけると、蓮は真っ直ぐにキョーコのほうへと向かってくる。

ぎゃーーーーーーー!!!

キョーコは心の中で絶叫したが、なんとかその場に踏みとどまって真顔で蓮を向かえることに成功した。
「やあ、お疲れ、最上さん」
「お、お疲れ様です」
「一昨日はどうもありがとう。ちょうどお昼の時間が空いたんだけど、ご飯一緒に食べに行かない?」
「は…あの……」
キョーコが答えられずにいると、蓮は笑みを深めた。
「よかった。そのカバン、使ってくれてるんだね」
「は、はい!」
蓮は視線を横にずらすと、奏江に笑いかけた。
「琴南さん、最上さんと2人でご飯食べに行くところだったかな?」
「え!?…っと、そうですね、いつもの通りそうするつもりではいましたけど…」
面接だろうとなんだろうとテキパキスラスラと答える奏江だが、突然の事にさすがに面食らって少し言葉が淀む。
「ごめん、今日は最上さんを譲ってもらっていいかな?なかなか昼の時間が空かなくてね。あ、なんなら琴南さんも一緒に行こうか」
「い、いいえ!どうぞ、キョ…最上さんと一緒に行ってください」

ありがとう、というお礼の言葉と爽やかな笑顔と引きつった笑顔を残して、2人は会議室を出て行った。その後姿を見て、なぜだろう、奏江の頭の中には『ドナドナ』が静かに流れ出したのだった。


関連記事

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する